こんにちは、はにゃみです。
メンタルシリーズの続きです。
この記事では大学時代から就職までを書いています。
アルバイトと違って仕事では苦労しました。
大学時代
バイトや恋愛、映画研究会、色々ありました。
4年生になる前の春休みに、都立病院で扁桃腺肥大の手術もしました。(就職のため)
バイト代で専門学校にも通いました。就職の為です。夢があったのです。
また、母校の中学に教育実習も行ったりと忙しかったです。
思い出したくない程実習が大変だったので、日本の拘束時間の長い教員という仕事に疑問を持っています。
横道にそれますが・・・ちなみに英国の公立小学校では自分の子供を職場の小学校に入学させることが認められていました。
下校時間になると児童は迎えに来た親と帰るのがルールです。(毎日の送り迎えが本当にキツかった)
当然教師も子供と一緒に帰宅してしまうわけです。
就職活動時代はバブル真っ最中で、浮かれた人が多かったです。
女性はスタイルが良くないと話にならないと思われていました。ボディコンですね。
私はふっくらした田舎の子でしたので時代に逆らうように生きていました。
時代に逆行する強い意志や理想像が作られた時間でした。
社会人になって
専門学校のお陰か、希望の職業に就くことが出来て本当に嬉しかったです。
けれどこれまで経験したことのない労働の厳しさを思い知らされました。
仕事はアルバイトとは違う。当たり前のことですが。
仕事がなかなか覚えられないことに初めて気付きました。
同じ頃父がガンになったことで、悲しみがダブルで押し寄せ、心に余裕がなくなりました。
そんな時に優しく励まして教えてくれるベテランの女性上司が現れて涙が出るほど助けられました。
「わからなくなったら私にいつでも電話しなさい。」という言葉を今でも忘れることが出来ません。その部署では怖い先輩で通っていた方だったので、歳の近い先輩からは「はにゃみちゃんはラッキーだよ」と言われました。
助けてくれる人の大切さを実感しました。1人の努力では到底乗り越えられなかったと思います。大先輩はじめ、すぐ上の優しい先輩方に恵まれた職場でした。
職場のメンバーは運なので最高にラッキーだったと思います。
この頃はとにかく自信がなく、ちゃんと生きていけるのか?結婚出来るか?父が死んでしまったらどうしようと心配ばかりしていました。
仕事は楽しかったのですが自分は1人では生きていけないと思いました。
ちなみに職場には素敵な女性上司が何人かいて、理想の中年像が出来たのもとても良かったです。
笑顔で人当たりが良く、芯も強く、誰にも媚びない美しい40代の上司がいました。内面からも輝くような眩しさがありました。失礼な男性上司に笑顔で嫌味を言う姿も見ました。(カッコイイ!)
あー、なんて可愛らしく強い人なんだろう。おまけに流行を追わないのにいつもおしゃれでした。完璧過ぎます。
人間はやはり性格がまずは大事で、私にとっての魅力的な人とそうでない人がキッパリと別れました。
自分がお嬢様であることでマウントを取ろうとする先輩が数人いましたが、苦手でしたね。あちらも超庶民の私のことなど興味がなかったことでしょうけど。
自分の理想に近づきたい。でも今の自分はダメだと感じていました。
自分は何者なのか。いよいよ本格的に人生について考える段階へ進んでいきました。
